毘沙門天に踏まれ隊 ~奈良一人旅編~

ねてから、正倉院展に憧れを抱いておりました。
正倉院展とは、聖武天皇が治世する奈良時代、東大寺の貴重な資材を保管する正倉院正倉に納められた宝物群の一部を、毎年秋に一般公開してくれる展覧会で、ことしで76回目となります。
蘭奢待(黄熟香)の本物をいつか見てみたいなぁと思っていたのですが、蘭奢待は14年に1回ペースでしか展示されないとか。
正倉院に伝わる宝物はおよそ9000点。そのうち一般公開されるのは60点前後。

RanJyaTai Shosoin
正倉院宝物目録での名は黄熟香(おうじゅくこう)で、「蘭奢待」という名は、その文字の中に”東・大・寺”の名を隠した雅称
(Wikipedia「蘭奢待」より)

フェリシモで買った蘭奢待クッション

きてるうちに、見れるといいなぁくらいだったんです。
そんなある日、友人から「これ当たったからあげるよ」と貰ったものが。

「いざいざ奈良」キャンペーンで景品だった、鈴木亮平画伯の、背後から強い光を浴びる鹿の靴下

に帰省した際、品川駅で見たんです。「いざいざ奈良」の巨大なポスター。
ええやんかって。
奈良、ええやんかって。
行きたい奈良って。
思ってたんですよ。
ちなみに鈴木亮平さんは5メーターくらいあるから、あのポスターは等身大ですね。
の、背後から強い日差しを浴び、長い影を作る鹿靴下を履いて、一刻も早く奈良に行きたい。
鹿とツーショット写真をおさめられたら、きっとオモロい。(第一動機)
そう思って奈良観光ガイドやみうらじゅん×いとうせいこうの「見仏記」とか土門拳の寺院仏像写真などを見ていたら、もう居てもたってもいられなくなり、よろずの差し障りを繰り合わせて、ちょうど正倉院展も開催時期である10月のおわりに、一泊二日の旅時間を確保することに成功しました。
すが古都、奈良。正直見たいところが多すぎて、とても一泊二日ではまわり切れません。
かといって、わりと無理やり空けた二日間、影長鹿靴下と鹿のツーショットを撮るだけではあまりにも阿呆すぎる。
と、いうわけで、正倉院展をはじめ、古都を感じるツーデイズに照準をしぼることにしました。

まずは斑鳩へ!

— あたしに…?

隆寺は、JR関西本線<大和路線>の「法隆寺駅」からおよそ1.5㎞
1.5㎞かー…
いや、歩けんことはないよ?
歩いた方が、町並みを体感できていいのかもせらん。
でもこのあと、奈良市まで移動して、さらに歩くとことを考えたら体力は温存しておいた方が良いのでは…
というわけで、駅前から30分間隔で出ている「駅⇔法隆寺」の巡回バスにのることに。
この日は平日の正午近い時間ということもあり、駅には人があまりいませんでした。
談ですが、わたし典型的な方向音痴なんです。
つまり、「地図が読めない」「マップアプリすら読めない」「Googleマップに殺されかけた(ガチ)」等、本来備わっているはずの「方向感覚」がまるでないのです。
夕日を背にしているのに、西と思い込んで東に進んでいることなど日常茶飯事です。

大体これ

後日の方向に進んでは戻り、戻りは進んで、目の前の法隆寺参道に1分で行くところを5分かけました。
先が大変思いやられます。
しかも、さすが法隆寺、大伽藍なのです。
なんと境内の広さは約18万7千平方メートル(約5万7千坪)で、東京ドーム約14個分の敷地面積だそうな。
泣きました。

中門及び回廊と金剛力士像

さもさることながら、さすが聖徳太子、ほぼ国宝、ほぼ文化遺産。これ細かく解説紹介していると80ページくらいになってしまうので、本やインターネットで調べて分かるアカデミックなことはごっそり割愛します。
わたしが個人的にぐっと来たポイントだけ紹介します。

Tamamushi Shrine ColorPhoto
※境内は一部写真撮影やスケッチを禁止しているため、ウィキメディアコモンズから引用

宝蔵院(だいほうぞういん)には法隆寺に伝来する数々の秘宝が安置されていて、一般参拝券で見学することができました。国宝、重文の数々、なかでも「玉虫厨子」(たまむしのずし)には度肝を抜かれました。
デカいんですよ。
たしか、教科書にも載ってたし、サイズも書いてあったと思いますが、実物を見ると驚きます。
なんと233㎝あります。
フランスから来たレジェンド・レスラー、アンドレ・ザ・ジャイアント(223㎝)よりデカいんです。
厨子というのは、おもに仏像や経典などを納めておく戸棚で、前面が両開きの戸になっているものを指すようです。
わたしは学生の時、灯篭だと思っていたので、せいぜい自分の目線の高さくらいかなぁと思っていました。
なるほど、仏具を入れる戸棚なのですね…(推古天皇がご所持されていたそうな)

アンドレの身長は全盛期(70年代)を参考にしています

た、法隆寺といえば聖徳太子です。大宝蔵院には聖徳太子様の像が数多くありました。
聖徳太子様って、なかなか超人的な逸話の多いお方で

・母妃、金色の僧を夢見て懐胎
・1歳、べらべら話すしむやみに泣かない
・2歳、合掌して東に向かい「南無仏」と唱える
・9歳、熒惑星(けいこくせい、火星のこと)があらわれる
・11歳、36人のこどもの志を聞いて、一言ももらさず復唱する
などなど

この、2歳の逸話「南無仏」と唱えた像が「南無仏太子像」として現存していますが、正直2歳の像がいちばん可愛くないです。
西洋美術でもそうですが、偉い人を「威厳ある」風貌で描くのは当然だったようなので、たいてい可愛くないのですが、それにしてもこの「南無仏太子像」はかなり怖いです。
16歳ごろの「馬上太子像」あたりは愛嬌もあるのですが、2歳児の聖徳太子さまは怖かったです。
※引用できるパプリックドメイン画像がなかったので、ぜひ検索してみてください。

後に、法隆寺といえばこの有名な正岡子規の句
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」

これ、学校で知るより前に、ドリフかなんかで加藤茶が言ってたんですよ。
なので、加藤茶のギャグだと思ってたんです。

だって…誰にでも詠めそうって子供心に思ったんです。
正岡子規って、めっっっちゃ柿がお好きだったそうで、晩年「我死にし後は」という前書きで「柿喰ヒの俳句好みしと伝ふべし」という句を作っていたそうです。
誰でも詠めそうとか思っててすいません、正岡ニキ。

尚、この石碑を探すのに4往復くらいしました