リベンジ、あんときのオレ。~2021読書週間~

読む読む子
書週間とは、文化の日をはさんだ10月27日~11月9日までの2週間を指し、終戦間もない昭和20年代前半から現在に至るまで続いている国民的行事なのだそうです。
むかしから本を読むのは好きで、何かしら文庫本をカバンや車に備えてはいるのですが、どうもここ最近は漫然と本を選び、だらだら活字を追う姿勢が続いていたので、せっかくだから選書のテーマを決めたりなんかして、なんなら記録も残しておこうと急に思い立った次第です。
-マを決めるべく本屋や図書館をウロウロしてみたところ、面白そうな本はあるものの、敢えて設定するテーマには弱い気がする…。新刊も何冊か購入してみましたが、コレと言ったカテゴリに収めにくい。最後の手段で家の本棚をゴソゴソしていて、ピンときました。
生時代に買ったは良いが途中までしか読んでいなかったもの、当時の流行りで買ったはいいが読み込んでいないもの、憧れの人物が読んでいたので手にしてみたが、全く理解できなかったもの…など、いわゆる「挫折本」がでるわでるわ。

おいおまえ!諦めが早すぎる!もっと根気よく読めよ!と若いころの自分を叱ってみましたが、おそらく今もこのスタイルはそんなに変わっていないし、なんにせよ本を買って読んでもないのにそれを処分せず、嫁入り道具にぶち込んで、安くない引越の荷物に加えていたあたりは褒めたい。
そう、まさに自分で自分を褒(以下略)

れは余談なのですが、わたくし常々、読んだ本や見た映画について、ひとことメモのようなものを残すよう習慣にしており、そういえば読んだなぁ、観たなぁと思っても内容をすっかり忘れているなんてこともしばしばあるもので、このメモを読み返してみると当時どんな感想を持ったかおさらいになるというワケです。
このメモをパラパラめくっていると、作品によっては取り付く島もないほど拒絶反応がでたモノもありまして…

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もう二度と読む気はない感想

回選んだ本は、あくまでも「好みの分野」なはずなのに、当時の理解力と経験値が足りず読了に至らなかったもの。
面と腹の肉が分厚くなった今なら受け入れられるのではないかという期待も込めて、「挫折本」の中から3冊ピックアップしてみました。
挫折本その1「新版 貧困旅行記」 つげ義春 新潮文庫

人になって驚いた事のひとつに「つげ義春を知らない大人が大勢いる」というのがあります。これは知識マウントとかそーゆーつまらんことではなく、何を隠そう自分が高校時代「つげ義春」はめちゃくちゃ「流行った」からなのです。

当時仲良くしていたお友達はみな、特に文学少年少女だったということはありませんでした。ミスチルの追っかけをしている子もいれば、ジャニス・ジョプリンを愛するロック少女もいたわけですが、例えば左肩を蚊にくわれて右手で掻いていたりするとすかさず「やや、メメクラゲにでも刺されたのかい?(※1)」などと言われたし、何か不都合な事(部活をさぼったりした時など)を指摘された際は「ギョホギョホ(※2)」と言ってお茶を濁すなど、日常に「つげ義春」が散りばめられていました。

今思えば、あの頃アングラなサブカルが一部ティーンに熱狂的な支持を得ていたに過ぎず、そもそも、白戸三平が創立した異色漫画雑誌「ガロ」出身のイチ漫画家であり、カルト的な人気はあったものの「つげ義春」を通ってこなかった人がいても全くおかしくないと思い至るのでした。

※1 つげ義春「ねじ式」冒頭のシーン「メメクラゲに左腕を嚙まれてしまった」
※2 つげ義春「ゲンセンカン主人」に登場する女将の笑い声

んな「つげ義春」の紀行集である当書。学生のころつげ義春作品を買いあさっていた時に、古本屋で見つけたものだと記憶しています。漫画はその独特な雰囲気、陰鬱な展開、不思議なまま終わる結末、など直感的に楽しめたのですが、それが文章のみになると読み手にもうひとつ想像力が求められ、さらに紀行集となると特に大きな展開もないままその時の思考をつらつら書き連ねているような印象を受け、おそらく最後まで読まずに本棚の肥やしになったようです…。
論から言いますと、コレ、めちゃくちゃ楽しめました。
全国各地、いわゆる観光地ではない旅籠屋や民宿、釣宿に赴いていて、たくさんの現地写真やつげ義春のイラストで三分の一ほど占められており、文章だけでないうえに、著者の奥様や息子くんの楽し気な旅先の写真が掲載されているのがステキ。
和40年あたりから平成初期にかけて訪れた旅先、とにかく鄙びて、うらびれて、暗く、寂しいところが大好き。中でも「ボロ宿孝」でのエピソードは強烈で、線路下に掘っ立て小屋のような宿屋があり、見る限り誰も宿泊客などいないのに、女将とおぼしき老婆に「満室だ」と断られる。営業許可の取れていないもぐりの宿屋なのではと著者が考察するに、「落し宿」なのではないかと思考をめぐらせる。「落し宿」とはつまり泥棒を泊める宿で、かつて泥棒も必要悪として黙認されていた時代があったとかなかったとか、起源も実態も明らかではないものの大変興味深い一篇でした。
かにも、会ったこともない自分のファンの女性と結婚するべく九州に赴くも、道中で出会う熊本に帰る途中の女性について行こうと心変わりしかけたり、ストリップ小屋の女性とねんごろな関係になったり、最終的に誰とも結婚しなければ蒸発もしない「蒸発旅日記」や、旅籠屋に宿泊中、窓外で馬とびやコマ回しなど素朴な遊びをする子どもたちにノスタルジックな気持ちでしばらく眺めていたくせに、急にうるさくなって唐突に怒鳴って追い散らすという「旅籠の思い出」など、つげ義春ワールド満載でした。全般通して、「つげ義春ってやっぱ奇人だな~」と思わざるを得ませんでした。

挫折本その2「TOKYO STYLE」 都築響一 ちくま文庫
TOKYO STYLE

泣く子も黙る都築響一

くま文庫のマークって「徹夜明けなのに次の案件の話しだすクライアントの顔を見るエンジニア」って感じでとても良い。

して半畳、寝て一畳。著者が究極の居住空間はかくありたいと、東京のリアルな狭小居住空間をカメラに収めた本作。奇しくも都築響一その人も、つげ義春同様「旅をすれば鄙びた宿に、路地裏の寂し気な居酒屋に安らぎを覚える」感覚で作品を創っておられました。

本書に関して言えば「挫折した」というよりは正直、「なんとなくオシャレだから持ってた」という感じで、改めてじっくり読んでみて衝撃を覚えました。

年床に古めかしい応接セット、床から天井までびっしり詰め込まれたCDやレコードに囲まれた書斎を持つ音楽評論家の部屋にひっそり置かれたトッポ・ジージョのぬいぐるみや、風呂無し共同トイレ三畳一間に所狭しと置かれた雑貨、その中でひときわ白く輝くビクター犬。映画ポスターでびっしり埋め尽くされた天井の部屋、オブジェとして飾ってあるバドワイザーの缶、マッキントッシュとスーパーファミコン、浅野温子の立て看、エトセトラ・・・
こんなに刺さる写真集がほかにあるだろうか!!

TOKYO STYLEという写真集は93年に刊行されたのですが、本書は2003年に文庫本として発行されたもの。この本を手にした当時、私自身、都内の狭い部屋に単身暮らしておりました。真っ赤なソファ置いてみたり、ピンクのファーのカーテンをかけてみたり、フランフランで買ったコレクションケース付きのカフェテーブルにベベルメンソールが置かれていたり、今思えばすべて「やりにいった」部屋だったなぁと思います。

何者かになろうとして、何物にもなれないかもしれないと思い始めるメランコリーなお年頃です。
なんだか部屋を構成しているすべてが自分のつまらなさのように思えたものの、それを捨ててしまったらそれまで積み上げてきたものが無意味になってしまう気がして、無理に部屋の中のもの丸ごと嫁ぎ先に送ったんですが、やっぱり新天地で明けた引越ダンボールの中身は8割ゴミでしたね…。

それでもその頃の欠片は今でも持っており、このTOKYO STYLEもその一つなんですけど、あの頃を思い出してはいまだに「ホグェエェエェ!!!」と奇声を発してしまうほど羞恥心に苛まれているのです。

挫折本その3「幻談・観画談 他三篇」幸田露伴
幸田露伴

れはまごうことなき「挫折本」であります。
学生の時分、私、英米文学科を専攻しておりまして、卒論のテーマとして「エドガー・アラン・ポー」の死生観についてなどという類のテーマを取り上げており、そして分かり易く煮詰まっていました。
大学に友達どころか気軽に話せる先輩も後輩もいない、陰気を極める女学生だったので、卒論については担当教授にばかり相談していたものの、もうちょっとフラットなご意見が聞きたいなぁと思い悩んでいました。
ある日バイト先で、バイト仲間に明治大学生と早稲田のOGがいたので、ちょっと相談してみることに。

「ポーやホフマン極めるなら、幸田露伴読んどかないと。」

ポーやホフマン極めるなら、幸田露伴を読んどかないとの意図は、その後に続くことばにあったんだと思うのですが、私はまったく聞いていません。多分聞いててもあんまり理解できなかったはずです。おそらくですが、幻想文学というジャンルに近しい日本文学も抑えといたほうがいいよ、という意味なんだと思いますが、そんなことよりも「ポーやホフマン極めるなら、幸田露伴読んどかないと。」の語感がカッコよかったので、深く考えず本書を買い求めたのでした。

伴は明治から昭和初期まで活躍した小説家で、よく「露伴、漱石、鷗外」と挙げられる、日本の近代文学を代表する作家の一人です。「金色夜叉」の尾崎紅葉とともに「紅露時代」なんて言われていたこともあるようですが、私は正直、とっつきやすい尾崎紅葉に比べて、やや難解な文体の露伴には手を出さなかったんですよね…。

その幸田露伴が晩年に手掛けた作品の短編集である本書。

舟釣りに出た侍と船頭が見つけた、ドザエモンが持っていた見事な釣り竿。その竿を拝借して釣りをしたところ釣れること釣れること。しかしその日の帰り最中水面に現れたものは…というような話の「幻談」を始め、少し不思議な話が口語体で書かれています。「怪談」ではないのであくまでも淡々と話が進んでいくところも、却って不気味さを煽ります。だってドザエモンが持っていた釣り竿、なかなか離さないからと指をへし折って奪うんですよ…。きょわい。

時読み込んでおけばよかったなぁと思った一篇は「魔法修行者」。
34ページほどのごく短いお話なのですが、マジでひとつも意味が分からなかった。あまりにも分からな過ぎて笑ってしまった。「魔法」というモノを掘り下げて、分解して、ひも解いて、バラバラにしてみて、結局元通り組み立てられなくなった感すらあるお話でした。

久米の仙人に至って、映画もニコニコものを出すに至った。仙人は建築が上手で、弘法大師などもはじめは久米様のいた寺で勉強した位である、なかなかの魔法使いだったから、雲ぐらいには乗っただろうが、洗濯女の方が魔法が一段上だったので、負けて落第生になったなどは、愛嬌と涎(よだれ)と一緒にしたたるばかりで実に好人物だ。
魔法修行者 「幻談・観画談」より

なんて・・・?
なんだよ、なんのこと言ってんの?久米の仙人てなによ。仙人は建築が上手・・・?洗濯女の方が魔法が一段上・・・?好人物て、誰が?弘法大師が?

篇に限っては、リベンジ失敗であることを告白します。3回くらい読みましたし、なんなら出てくる人名やらググったりしましたけど、一切意味はわかりませんでした。

そんなわけで、リベンジ、あんときのオレ。~2021読書週間~は二勝一敗、露伴はもう10年後に再挑戦したいと思います。
みなさまも肥やしになっている本など引っ張り出してみるといいかもしれませんね。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。